まきしま

主にマンションのこと。日々の雑感など。

クソリプについて2(ksrpおじさんについて考える)

 ksrpおじさんの根源にあるものは孤独だと前に書いた。孤独によって自分への注目とか他人からの反応とかそういったことを過剰評価してしまった結果がksrpだ。そういったことを書いた。それはksrpはある程度の関係性の下で発生する、ksrpおじさんは関係性に飢えているというのが前提になっている。
 でもTLを眺めているとksrpが発生するのはそれだけじゃない気がしてきた。ksrpおじさんたちは今日も元気にksrpをしているけれど、それは相手の反応へのカウンターというより、そこらの壁に好き勝手に落書きするみたいに感じる。相手との関係の中で発生する「孤独」とは別に、どうやらksrpおじさん自身が持つ特徴(特性といったほうが正確かも)があるようだ。と思うようになった。

 「孤独」は生まれ持った性質とは言いにくいけれど「特性」は生まれ持った性質の色合いが濃いので、ksrpおじさんの根源を「特性」にするのは危険な推論のような気がする。貴方は生まれながらにしてksrpおじさんの特性を持っています。と言われたら、僕なら軽く死ねる。あまりに短絡的で残酷だと言われたら返す言葉もない。

 だけど「なぜksrpおじさんはksrpをするのか?」を考えるほど「なんと言うかこういうタイプの人だよね…」という共通性を感じてしまうのもまた事実ではあるのです。なので、結構迷ったけれど、ksrpおじさんの闇に取り込まれないように気を付けながら、今回もksrpおじさんについての文章を書くことにした。

 ksrpおじさんの「特性」それは「共感性の低さ」だと思う。ksrpおじさんは相手が何を言いたいか?どう感じるか?と言ったことに注意を払っていない。自分がリプすることが目的なので、自分の言いたいことを相手に投げつけた時点でksrpはその役目を完遂している。「今日は美味しい肉を食べました」というつぶやきに対する「私は魚が好きです」というksrpは、実はそれ以上の返信を求めてはいないのではないか、と思う。
 さっきのksrpを読んでもらえばわかると思うのだけれど、ksrpの多くは情報が不足している。あまりに簡潔すぎて返信するためのバッファがないのだ。前述のksrpも(お肉も確かに美味しいですね。でも自分はどちらかというとあっさりとした)という前段部分があればどうだろうか。でもksrpおじさんはそうした”まだるっこしい”加筆を好まないように見える。

 それはksrpおじさんにとってリプとは"相手が理解すべきもの"で"こちらから説明すべき"ものではないからだ。元のツイ主はksrpの解像度の低さと脈絡のなさに困惑するのだけれど、ksrpおじさんに説明を求めることは難しい。さっきも書いた通りksrpには返信するための隙間がないからだ。完結したリプに返信するには想像力や表現力といった相当のエネルギーが必要となる。その上、そもそもksrpおじさんは解像度の低さに気づいていないし自分のksrpを説明する気もない。

 ツイート主にとっては迷惑極まりないが、このように本来必要のない想像力を人に強制することがksrpの条件の1つと言えるのだと思う。

 前回の「関係性に飢えている」という結論とは逆になるけれど、ksrpおじさんは本質的に自分へのリプを求めてはいない。その結果、ksrpは誰にも反応されずにその場にとどまることになる。上空から見たシナイ半島のごとく茫漠としたksrpだけがその場には残る。そうした記念碑的なksrpはTwitterのあちこちで見ることができる。中には申し訳なさそうに誰かの❤️がついていることもある。文化的遺産とまでは言わないけれどネット社会の象徴的な存在とは言えそうだなと思う。

 正直に言うとksrpの良し悪しは僕にはよくわからなくなっている。ksrp死すべし!と思っていた時もあったけれど、今はksrpは絶対になくさなくてはいけない!と大声で言うことは僕にはできない。誰でもksrpをすることはあるし、ある意味での可笑しさや哀しさを帯びたksrpというのもあるからだ。

 だから本当に必要なことは、ksrpを絶対にしないことではなくksrpおじさんにならないように注意深く自分のリプを自己検証することなのだろう。言い換えれば、僕たちはリプ(という意思)を伝えるための「冷静さ」と「表現力」を持たなければならないということになる。そうしなければいつの間にか「私は魚を食べました」と書き込むksrpおじさんになってしまうかもしれない。

 ksrpおじさんを覗いているとき、ksrpおじさんもまたあなたを覗いている。