まきしま

主にマンションのこと。日々の雑感など。

クソリプについて2(ksrpおじさんについて考える)のあとがき

無人島に一人で育った人間は、鏡を見るまで自分を人間だと思っているだろうか?”

 僕はどこでこの文章を読んだのか思い出すことができない。でも「人は自身を人であると認識するために必ず他者を必要とする」という考え方は、自分の価値観に近い。人は他者という「自分と同じようだけれど絶対的に違う」存在を自己と比較することを繰り返すことで生きている、と思う。だから僕は最初の「クソリプ(あるいはおじさんの抱える孤独)について」を書いた。孤独を感じるのは他者という存在があるためで、その相対性の歪みで発生するのがクソリプだと思ったからだ。

 最近、Twitterアルゴリズムが改変され、おすすめタブには「バズった」ツイートが表示されるようになった。そうしたバズツイには額縁に入れて飾りたいような正統派のクソリプがついている。僕はそれにツイ主との関係性を全く感じることができない。「FF外から申し訳ありません」というクソリプの始まりはその無関係性とおじさんのそこはかとないエゴイズムを適切に表している、と思う。そうして僕はクソリプにも非相対的なものがあるのだなと思い直して今回の話を書いた。

 関係性を持たないツイートが勝手に表示される「おすすめタブ」がある以上、僕たちはクソリプから逃れることはできなくなっている。クソリプおじさんによって主体的に(つまり相対性など気にせずに)発せられるクソリプは、ある日世界の彼方から突然現れる。僕たちの周囲には巨人の侵入を防ぐような強固な壁もなく、命をかけて守ってくれる兵士もいない。本当に嫌なら「おすすめタブ」を絶対に見ないようにするしかないが、100%見ないということは現実的ではない、と思う。Twitter社はいろいろな方法で僕たちを「おすすめタブ」に引き戻そうとするだろう。(イーロン・マスクはおすすめタブを広告に使おうと考えているらしい。)

 こうして僕たちはTwitterで2つの世界を生きることを余儀なくされる。開かれた「おすすめタブ」の世界と、フォロワーだけの「フォロー中タブ」の世界。好き嫌いは分かれると思うけれど、どちらが正しいかという議論にはあまり意味がない。

 選択権はこちら側にあり、僕たちは生きる世界を主体的に(つまり相対性など気にせずに)選ぶことができる。