まきしま

主にマンションのこと。日々の雑感など。

クソリプ(あるいはおじさんの抱える孤独)について

 このブログは戸田のことやマンションのことだけでなく日々の雑感も書いてよいので今日はクソリプ(以下ksrp)について書こうと思います。読後感はあまり良くない文章ですのでお気を付けください。

  なぜ人(特におじさん)はksrpをしてしまうのか?という問いは、多分当事者には届かない。それはksrpをする人は自分のリプがksrpだと思っていないからで、僕がいくらksrpについて語ったとしても、本当に届いてほしい人には届かない。この文章は家々を押し流す氾濫した荒川のように後には何も残らない。だからここに書いてあることは、誰かに対してではなくて僕自身に向けて書いている。自分の事じゃないか?まきしまにdisられた?と思う必要は全くありません。これは単なる内省です。

 そもそもksrpの原因は距離感の計測ミスにある。おじさんは自身が思っているほど相手と親しくないし信頼感を構築できていない。悲しい。でも距離を間違えてしまうのは、おじさんが孤独だからだ。と思う。

 孤独とは何かと言われれば、その人自身について誰からも興味を持たれず、話を聞いてもらえない状態だと思う。もちろん仕事などでは関わりがあるだろうけどそれは役割に紐づいていておじさん個人に紐づいてはいない。あなたが死んでも代わりはいるもの。そういうことだ。

 おじさんは会社でも家庭内でも孤独になりがちだ。と思う。(個人の感想です。)課長や父の役割は求めらるけれど、個人的なアドバイスは聞き流され、価値観に興味を払う人はおらず、おじさんの希望が優先されることは少ない。つらい。刺さりすぎるので泣きながら書いている。

 孤独になると人は周囲との関わりを欲するようになる。周りを何度も見回し心の感度をMAXまで引き上げてリアクションを待つ。リアクション0.1を10として感じるように設定しているから当然なのだけど、少しでもポジティブな反応がもらえると、それを過大に評価して相手に勝手な親近感を抱きやすくなる。

 心のメーター次第では、単なるリプそのものがポジティブなリアクションと捉えられてしまうかもしれない。『まぁ相手してやるか』ぐらいの軽い気持ちで書いたリプがksrpのスイッチになってしまう。ksrpの前段階にはこうした「ポジティブだと捉えられたリアクション」が隠れている。

 親近感を感じると、人は自己開示をしたくなると学生の頃に本で読んだことがある。自分はこういうことを知っている!こういうことを考えている!あなたに色々教えてあげたい!こうやって自分を知ってもらうことで孤独を癒そうとしてしまう。彷徨い続けるオランダ人のようにTwitterにはそうしたおじさんが多数漂流している(ように感じられる)。

 だからきっとksrpは完全には防げない。嫌なら鍵付きにするか、片っ端からブロック(またはミュート)するしかない。個人的にはできればやりたくない僕はTwitterのオープンな感じが割と好きだからだ。でも辟易したときは割と反射的にやってしまうが。。

 オランダ人の幽霊船のようにksrpはきっとこれからも突然目の前に現れる。僕はそれに遭遇してしまった老いた船乗りのように、両手で顔を覆い指の隙間からこっそりそれを眺めるだろう。ksrpおじさんをミュートし時にはブロックしながら、たまにその人をわざわざ見に行き、やっぱりミュートしてよかった。と安堵するのだろうと思う。

以上、おわり。

いくつかksrpの例を考えてみました。(もちろん全部架空)

1.つぶやきに同意していない上に自己完結している。

つぶやき「今日魚食べた~」

ksrp「僕は魚が嫌いなので肉を食べました」

魚を食べた人に僕は魚が嫌いですと言うことで「あなたの意見に同意しない」と捉えられる危険性をはらんでいますが、このリプは自分の行動描写のみで話を終えており、反論を許さない一方的なコミュニケーションになっています。

2.つぶやきの内容に関係がない自分の知識を披露する。

つぶやき「今日魚食べた~」

ksrp「今はカツオが旬なんですよね」

つぶやきは「魚を食べたこと」を伝えているのであり、魚の種類や旬は関係がないし、ツイート主は知りたいと言っていません。また、仮に食べたのがマグロであればカツオが旬というリプは何ら意味がないのだけれど、ksrpは単語に反応して自分の言いたい知識だけを披露しています。

3.前提にない揚げ足を取る。

つぶやき「今日魚食べた~」

ksrp「あれ?今日は29日、肉の日ですよ笑」

29日=肉の日という認識がつぶやき主と共有できていない上に、知らないことを教えてあげるマウントも感じさせるksrp。というか肉の日に肉しか食べてはいけないというのは誰が決めたのか??

 

お読みいただきありがとうございました。